レディ・ベス観劇前に史実を調べて、予備知識としての備忘録です。主にWikiからの引用ですが、大まかにまとめています。
登場人物
●レディ・ベス (作中は20~25歳)
エリザベス1世(在位1558年11月17日 - 1603年3月24日)
イングランドとアイルランドの女王。母の死によって庶子になるが、父の晩年に王位継承権が復活する。18歳ごろに正式な教育を終えた時同時代における最も教養のある女性になっていた。生涯結婚しなかったため、処女王と呼ばれた。(子供ができにくい体質だったと思われる)44年間の在位は黄金時代と呼ばれる。
●ロビン・ブレイク
シェイクスピアがモデル。実在しない。
●メアリー・チューダー (作中は37~42歳)
メアリー1世(在位1553年7月19日 - 1558年11月17日)
弟エドワード6世が早世し(九日間の女王ジェーン・グレイはプロテスタントのため剥奪されたのち)イングランド王になった。プロテスタントの迫害でブラッディメアリーとも。
●フェリペ (作中は26~31歳)
フェリペ2世(メアリーと結婚し、フィリップ1世とも)太陽の沈まぬ帝国と称されたスペイン黄金時代の王。書類王。フィリピンはこのフェリペにちなむ。メアリーとは従妹関係にあたる。王の命令でイングランド王女 メアリー1世と結婚するが11歳年上のメアリーとは性格が合わず別居状態だった。メアリー1世と死別後、エリザベス1世に求婚するも実現せず。
●アン・ブーリン (35歳で処刑)
ヘンリー8世の2番目の妻。ベスの生母。キャサリン王妃の侍女だったがヘンリー8世の愛人となり、王妃の座をヘンリー8世に強要。
●シモン・ルナール (作中は40~45歳)
フェリペ2世の顧問官。カール5世の大使として1549年にフランス、1553年から1555年に渡ってイングランドに赴任した。イングランド大使としての大きな成果は、フェリペ2世とメアリー1世の結婚。
●ガーディナー
イングランドのカトリック司教。プロテスタント化が強化されたエドワード6世の治世に、カトリックの信仰を守り続けたため5年間投獄される。後にカトリックのメアリー1世によって解放され、プロテスタント迫害の急先鋒となった。
●キャット・アシュリー
1537年にエリザベスの女家庭教師に任命され、彼女が死去する1565年までエリザベスの友人であり続けた。彼女は優れた初期教育をエリザベスに施した。
●ロジャー・アスカム
1548年からエリザベス1世はラテン語の権威の教師ロジャー・アスカム から教育を受けた。
≪ ヘンリー8世と妻たちについて ≫
ヘンリー8世(イングランド王/在位1509年4月22日 - 1547年1月28日)は6回結婚した。
1キャサリン・オブ・アラゴン (スペイン王女)
メアリーの生母。イングランドとスペインの政略結婚により、当初はヘンリー8世の兄(アーサー王太子)と結婚したが、すぐにアーサー王が死去。その後、弟であるヘンリー8世と再婚した。メアリーの他6人を身ごもるが、夭折もしくは流産となり成人したのはメアリーのみとなった。流産はカトリックの断食による原因ではないかと言われている。
2アン・ブーリン
ベスの生母。キャサリン王妃の侍女だったが、王の寵愛を受けヘンリー8世がキャサリンと離婚するために、カトリックから改宗しプロテスタントになり、婚姻は無効だったことにより、王妃となる。王位剥奪されたメアリーにベスの侍女を強要し、幽閉されていたキャサリンがなくなると喜んだというスペイン大使の報告により、周りから不快感を買った。ベスが3歳のころ国王暗殺、不義密通の疑いをかけられ処刑される。
3ジェーン・シーモア
エドワード6世の生母。アン・ブーリンの侍女だったが、流産を繰り返すアンにヘンリー8世は心変わりし、アン処刑後に王妃となる。エドワード6世を出産後、産褥死する。カトリック。
4アン・オブ・クレーヴズ
政略結婚後、わずか半年で王から離縁され、王の妹となった。プロテスタント。
5キャサリン・ハワード
アン・ブーリンの従妹。アン・オブ・クレーヴズの侍女の一人。婚約者がいたがヘンリー8世と結婚し、不義の疑いで離婚。
6キャサリン・パー
ヘンリー8世51歳の時に31歳で結婚。メアリーとベスの王位を復活させるようヘンリー8世に嘆願。ヘンリー8世を看取ると、かつての恋人トマス・シーモアと再婚しベスを引き取った。(ベスとトマスが関係を持ったとされ、ベスは追放される)
●作中に出てくるできごと
ワイアットの乱
1554年にイングランド王国で起きた反乱であり、指導者の一人トマス・ワイアットの名にちなむ。女王メアリー1世とスペインの王子フェリペの結婚への抗議行動であり、メアリー1世の廃位を暗に求めた。
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